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私とインド人~インド人を知る(その一)

コラム「私とインド人~インド人を知る」vol.1

 私とインド人~インド人を知る(その一)
 Nakajima Consultancy Services LLP 会長
 中島 敬二
 2015年4月21日   

 私とインドとの掛かり合いはとても長い。住友商事社員として1971年にインドに出張しているので45年間以上である。私は現在もインドに在住して仕事をしているので、日本人としてはインドと仕事上のお付き合いをしている最長期間の現役ではないかと思う。今回6回にわたって皆様にインド人をより正確にご理解いただくため、私がこれまでインド人とのお付き合い及びこの経験の中で学んだインド人の実像を書いてみたい。但しインドは多様性の国であり、これはインド人に対しても当てはまる。読者は私のインド人観を鵜呑みにされず、一つの見方として捉えて頂くことをお願いする次第である。

 

1.私がインドとの掛かり合いを持ったのは?

 私がインドと掛かり合いを持った契機はある出来事があったためである。入社して入社後2年目の私はソ連、中国等の共産圏貿易を担当していたが、その頃住友金属工業の鉄道用車輪・車軸のインド向け輸出のインド代理店の社長が死去したため、このインド向け商権が住友商事に転がり込んできた。当時としてはかなり大きな商権であった。このため私の同僚が上司にインド担当を命じられた。だが、彼は「インドはよく分からない国であるし、仕事は難しそうなので、自分はインド担当者になることはとてもできません」と拒否した。これに対してこの上司は「これは俺の命令である」と伝えたところ、「それなら、私は会社を辞めて故郷の岡山に戻りますと」と答えたのである。運命とは不思議なものである。困惑したこの上司とたまたまその場にいた私の目が合ってしまい、「これは、やばい!」とすぐうつむいたが、「それでは中島。お前がインドの担当をやれ」と。上から命じられた業務命令は拒否すべきでないという考えを持っていた私は、すかさず「やります」と答えてしまった。若し私の同僚がインド担当を拒否しなかったら、私は共産圏貿易の専門家としての商社マンを過ごし、インドとの係わり合いはなかったであろう。この同僚はその後、私の席に来て「中島。すまない。頑張ってくれ」と侘びと激励をしてくれたが、私の心は暗くそして不安一杯であった。

2. 生まれた初めてお会いしたインド人よりインド人の粘り強さに感心

 インド担当者となって1ヵ月後、訪日したインド国鉄局長一行に対して秋葉原での電気品購入のためのアテンドを上司から命じられた。先ず秋葉原で一番有名な電気店にご案内した。彼らは当時の私には信じられないほどの粘り強さで交渉した。最終値引き価格(相当な値引き)を長時間かけて獲得したのでこれで購入するかと思っていたら、しばらく考えてから他の店を回ってから戻ってくると購入せず立ち去った。同じように合計5店訪問後、路上で会議を始めた。彼らがどの店のどの製品が最も安いかの情報を共有し、製品ごとに一番安い店を再度訪れ、「私たち5人全員がこの製品を買うのでさらに5%の値引きをお願いしたい」と再交渉を始めたのである。店員さんは根負けして投げやりとなり、「承知しました」と。

*中島コメント

インド人は定額販売のデパートでも値引き交渉をする。昔の話であるが、インド人は半掛けの8掛けで購入すると聞いたことがある。インドでは路上での物売りが多くいるが、1,000ルピーの製品に対し多くの日本人は800ルピー程度でカウンター・オファーし、900ルピー程度で購入する。しかしインド人はそんなことはしない。1000ルピーの半掛け、すなわち500ルピーの8掛けの400ルピーでカウンターし、600ルピー程度で購入する。売人もこれを承知してこの値引き分を売価に最初から織り込むのである。だから定価で購入する人をインド人売人は内心バカにする。

インド人は駄目もと精神で購入に臨む。だから、私たちの常識を超えた要求を平気で行なう。もっとも数万円の電気品も彼らにとって当時の年収に相当する金額であり、私たち日本人が家を購入するときと同じ状態である。だから、相当な時間をかけて粘り強い交渉を行なう。同行者の1人は帰国後これを3倍の金額でインド人に売却し、2年分の年収に相当する利益を得られると喜んでいた。

 

3.初めてのインド人との対応ショック~「お前はとても礼儀知らずの男だ」

 このあと局長一行と帝国ホテルに戻り、エレベーターに乗ったが、エレベーター内で私は局長に話しかけたが、局長は聞こえないふりをした。この後、局長の側近の1人に呼び出され、「お前は失礼な奴だ!しかもエレベーターの中で局長に話しかけるなんて信じられない。今後は注意されよ」と。

 私はなぜ叱られたか理解できなかった。単に秋葉原でのショッピングの感想を聞こうとしただけなのに。いくら考えても分からない。「インド人とはどういう人種だろう?」「なぜこのようなことで自分は注意されなければならないのだ」自問自答しても分からない。だが、これからインド人とビジネスを行なうのは、先ずインド人を知らないとダメだと痛感し、分からなければ分かるまで勉強しようと決意した。これが私のインド人研究の出発点となった。

*中島コメント

これはインドのカースト制度に関係していたことが大分経ってから分かってきた。
カースト制度は、僧侶のブラマン(バラモン)、武士のクシャトリア、庶民のヴァーシャ、そして一番下の上の階級に奉仕するスードラの4階級と私は学校で習ったが、実はこの枠外にもう一つの階級があったのだ。それはアウト・カーストのアチュートとかダリットと呼ばれ「不可触賎民(アンタッチャブル)」だ。当時の外国との接触の少なかったンド人の多くは外国人をカーストにも属さない最下位の人種とみなしていたのだ。これらに属する人は上位者の前では求められなければ発言は許されない。さらに、これらの人間と同じ空気を吸うことさえも忌み嫌うので、空気が流れていないエレベーターの中で私の発する息に穢れを感じ、局長は不快の気持ちをもったのである。40年経った今はこんなことはなくなってはいるが・・。(むしろ外国人は特別扱いで、特に日本人はインド人に尊敬されているので、話しかけても気持ちよく応じてくれることを付記する)。

4.インド人のプライドの高さは役職・身分に関係ない。怒らせたら怖いインド人

 40年以上の話であるので実名を挙げて述べることにお許しいただきたい。日立製作所と三菱電機が共同で、インド国鉄より当時としては巨額の数十億円の鉄道車両用モーターを受注した。製品も完成し、インド国鉄から最終検査のためのゴビルさんと言う検査官が日本に派遣された。ゴビルさんはインド国鉄内では頭脳明晰なエリートであったが、26歳の青年であり明らかにモーターに関する知識と経験が欠如していた。ゴビルさんは彼自身の知識を増やすため、そして検査官としての任務を果たすため日立製作所等に検査実施中に質問を繰り返した。一日も早く検査終了を望んでいた日本側はその質問の内容の幼稚さに苛立ち、極めて高度の技術を持つこのモーターをインド人なんかには理解できないだろうと高を括り、彼に対して、「これは極めて難しい技術であるのであなたが理解するのは難しい。自分たちを信用しテストだけ早く済まして欲しい」、と対応した。

 この態度にゴビルさんは怒り、自分が納得できる説明がなければ検査は継続することはできないと反発したが、日本側はこの発言を軽視した。なぜならば、ゴビルさんの上司たちは受注前の技術交渉及び製造中のコミュニケーションで日本製品の優秀性を十分理解していたので、彼の上司たちに依頼してゴビルさんに圧力をかければ、彼も検査をせざるを得ないだろうと気楽に考えた。インド国鉄の上司よりも納期の問題もあるので、直ちに検査に応じるよう命令をゴビル氏に出した。だが、ゴビルさんは検査官として納得できないまま検査を実施して合格させることはできないと拒絶した。そしてそれから彼は猛勉強を開始し、3ヵ月後には日立製作所の技術者も顔負けの知識を習得したのである。どんな優秀な技術でも解決不可能な問題点はある。彼はこの問題追及し始めた。そしてこの検査合格するまで約1年の月日を要し、日立製作所及び三菱電機は数10億円の損出を出し、工場のトップは左遷された。

 私が本件の担当になったのは、ゴビルさんが来日してから8ヶ月経った頃であった。私はこの問題の根本にはゴビル氏と日本企業との不和関係があると確信し、彼との人間関係構築に最初の2ヶ月間もっぱら費やした。食事を共にしたり、東京近辺を旅したりして個人的親交を深めた。強情だが真面目で、本来は人のよいゴビルさんは私だけに心を開いてくれた。彼との信頼関係を確信できたので、私は彼に「なぜこのように問題が複雑になってしまったのか?このままではインド国鉄も我々日本企業も益々窮地に陥ってしまう。後1ヶ月以内に合格して頂けないと大変な問題になってしまう。問題の原因とその解決策を私に内緒に教えてくれないか?」と彼よりの反発・反感を覚悟して頼み込んだ。

 ゴビルさんは私にしみじみ言った。「自分は当初から日立製作所及び三菱電機のモーター技術は世界最高レベルに達しており、基本的にはインド国鉄でこのモーターを使用することには問題ないとの理解をしていたし、今でも同じ考えである。原因は日本人のインド人に対する認識である。たとえ技術が高レベルでもそのことを理解できなければ、検査官としての任務を全うできない。従い、私は疑問点や不理解点について質問するのは私の責務なのに日本側は私を小ばかにしてまともな対応をしてくれず、私の自尊心を大いに損ねた。実はこれは本当に内緒の話であるが、もう一つの理由がある。それはインド国鉄の幹部よりこのモーターは将来インドにて国産するので(日本側はこの点を了解)、徹底的に日本で技術を学んでくるようにとの任務も受けている。私も既にかなりの技術を学ぶことができた。中島さんは私とほぼ同年代で私にとっては唯一の日本人友人である。あなただけは苦しめたくない。従い、2週間以内に私はあなたのため、そしてインド国鉄のため検査合格証を発効する」と。

 

*中島コメント

インドは民主主義国である。個人の意見もその正当性があれば通じる国である。一般的には部下は上司の言うことを聞いて命令には忠実と言われているが、そんなことはない。大概のケースでは上司との軋轢を避けて上司の意向に従うが、ゴビル氏のようなケースはインド高級官僚の中には度々見受けられる。日本側はゴビル氏の一検査官という役職で彼を軽視した。一方彼はインド国鉄の代表であるとの認識を持っていたので、彼の心証を害し、彼のプライドも傷つけた。また、彼の若い年齢により日本側は彼の持つ潜在能力を看過してしまった。インドとビジネスを行なうためには役職に関わらず、インド関係者を友達になれなくても敵に回してはいけない。同時にインド人は人間の情を理解してくれる国民である。インド人とお友達になったら、インドほどビジネスが簡単な国はないと私は思う。

なお、インド人の二面性も理解しなければならない。インド国鉄の幹部は日本側の要請を受けて早期に検査するよう命令を出したのは上述のとおりである。本来なら1年以上検査を修了しなかったゴビル氏は本国に召還されてもおかしくいないない話ではあったが、一方その裏で、時間のことは気にせず、徹底的に問題を追及しモーターに関するあらゆる技術を吸収するよう指示を出していたことも述べた。その証拠にゴビル氏は帰国後も他の誰よりも早く昇進を続け、最後にはインド鉄道研究所のトップとなったことでも納得できる。

インドには“あ”を使ったインド人との付き合い方がある。それは、「あわてず」「あせらず」「あきらめず」「あてにせず」であるがもう一つあるのは「あなどらず」である。これを肝に銘じたい。

 

以上

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著者プロフィール

中島敬二様写真1

中島 敬二 
Nakajima Consultancy Services LLP 会長

URL: http://nakajimaconsultancy.jp/

インド在住暦18年。住友商事元理事広報部長、インド住友商事元社長。コンサルタント会社を経営しながら、日本食レストラン、有機野菜販売等現在6社の会社をインドにて経営。

 

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