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私とインド人~インド人を知る(マルチスズキ初代社長との出会い)

コラム「私とインド人~インド人を知る」vol.2

 私とインド人~インド人を知る(マルチスズキ初代社長との出会い)
 Nakajima Consultancy Services LLP 会長
 中島 敬二
 2015年5月26日   

 

 1978年~1983年の5年間、私はインドビジネスから離れた。私の初めての海外勤務地であるメキシコに赴任したためである。1983年2月、東京本社に戻された部門は出身部の車両鋳鍛貿易部ではなく自動車部であった。もし私が出身部に戻っていたら、インドとの係わり合いは多分なかったであろう。私より6ヶ月先にブラジルに赴任していた1年先輩の田淵さんが出身部に戻ったため、当時業績拡大中で多くの人材が必要であった自動車部門に私は移籍したのである。田淵さんのブラジルでの任期が延び、あるいは私のメキシコでの任期が早まっていたら、私は確実に出身本部に戻っていただろう、と当時の部長に言われた。尚、田淵さんはその後同部の部長となり、私の住友商事時代の最も親しい友人となった。現在でも私がインドで経営するコンサルタント会社の日本代表を務めて頂いている。

 私が配属された自動車部のインドビジネスは皆無であった。自動車輸入が許可されず、国内乗用車生産台数は年間僅か4.5万台という自動車部門にとっては全く魅力のない小さな市場であった。ところが私が帰国直後にインド案件が突然と出現したのである。

 それはスズキのインド進出案件であった。鈴木社長はインド進出を決断されたもの、インドという国はスズキにとって全くの未知の国であった。そこで、スズキはデンソーの田辺専務(後に副会長)を介して住友商事に支援を求めてきたが、当時の最高上司であった池田本部長(専務)はインドのことを分かっている人材が同本部にいなかったにも関わらず、気軽にこのご要請を受けてしまった。本部長室に呼ばれ「中島君。君に頼む」と言われたとき、「え! 私が・・」という驚きと困惑でいっぱいであったが、頑張るしかないと覚悟しインド向け自動車ビジネスの責任者の拝命を不安な気持ちでお受けした。

今回はマルチ・スズキ社の初代と2代目社長とのお付き合いについて書いてみたい。

 

1. 超大物初代会長兼社長のKrishnamurthy博士(K会長)

(1)   K会長のプロファイル

 インドの高級官僚は2つのタイプに分かれている。ひとつはIAS(Indian Administrative Service)等の極めて難関な上級公務員登用試験に合格した超エリート集団。もうひとつは、豊富な専門知識と実力で政府高級役人となったプロフェショナルといわれる人たちである。K会長は後者に属し、BHEL(インドの最大の重電金国営会社)の会長、インド工業省の次官を務めた後、インディラ首相の要請に基づきマルチ社の初代会長・社長を務め、その後インド国営鉄鋼公団の総裁等歴任した著名なインド人である。引退後大実業家に変身された。

 (2)  K会長との出逢い

 K会長は住友商事デリー支店長T氏の友人であった。だが、T氏はその後住友本社海外業務本部のインド担当理事に昇格されたが、K会長との個人的人脈を社内の誰にも引き継ぐことを嫌った。1983年4月K会長はスズキさんとの打合せのため来日されることになったが、T理事はあいにく海外出張を予定しており、住友商事幹部にアテンドを依頼することを好まなかったT理事は課長である私にアテンドを命じた。

 僅か2日間の東京滞在であったが、私はK会長のアテンドに誠意と全力で対応した。ポロシャツを買いたいというので三越デパートにご案内したが、8000円のシャツを買うのに、30分も迷った末、買わなかった。彼の立場では個人的収入を得ることは十分可能であったが、これを見て彼は清廉潔白な高級役人であることがわかった。最後の晩ニューオータニーホテルでフランス料理をご馳走になったが、その時彼が支払った金額は5万円。彼は接待費を無制限に使えたのである。公私混同を決してしなかった人でもある。

 私はその後インドに出張するたびにK会長が住む官舎を訪れ親交を深めた。彼は言った。「中島君。私は君を信頼している。そして君を日本人の中で最大の親友と思っている。今後マルチとの取引構築で私は全面的に協力することを約束する」と。

 初めての大型商談であったプレス設備の入札で、住友商事は小松製作所のプレスを担いで応札したが、一番札の某日本メーカーとの価格より1億円も高い2番札となった。この某メーカーはスズキにも納入実績のあった小松製作所と遜色のない大企業であるので、この時点で受注チャンスはなくなった。

 だが、諦めることができなかった私はインドに飛び、K会長に恥を忍んで助けて欲しいと頼んだ。Mr. Kは「中島君、覚えているね。私が貴君に約束したことを。全面的に協力するって・・」。K会長は翌日入札委員会を招集しメンバーに対して「私は小松製作所のプレスの性能を高く評価している。マルチはインドの国家的プロジェクトであり、国民に対し高品質な車を提供しなければならない。この為には小松プレスは必要と考える。従い、小松プレスを採用したいと私は思うが、諸君の意見はどうかね?」と話し、全員一致で小松プレスの採用が決まったのである。もちろん金額は1億円値引きしたが、受注が少なかった小松製作所よりは大いに感謝された。同時に一番札を取った某メーカーに対しては大変申し訳ないこと、と今でも苦い思い出となっている。

 

* 中島コメント

(a)  小さな偶然や出来事が将来は大きな出来事を作る基礎となりえる。 
 若しK会長訪日時にT理事が日本におられたなら、私はK会長と懇意な関係は築けなかったであろう。

(b)  インド人のことを良く知ることと綿密な行動プランの作成
 アテンドすることが決まった直後から、私はK会長のご経歴やスズキさんを通じて彼のモノの考え方を熱心に勉強した。アテンド計画を綿密に作成し机上に置いた彼の顔写真を見ながら、K会長との折衝のやり方を何回も何回も反復予習した。

(c)   千載一遇のチャンス~自分を飾らず当たって砕けろ、の精神で対応
 通常では1課長の身分でインドを代表とする大物高級官僚を2日間まるまるお付き合いできることは稀であろう。今後のマルチとの取引を考えたら、同会長との良好な関係を構築することは必須である。ただ彼に好意を持っていただくのでは不十分、従い、中島という男を強烈に印象づけなくてはならないとは思ったが、インド知識も不十分でかつ語学力も低レベルの私では到底無理であるので、誠心誠意の精神でありのままでぶつかるしかないと考え対応した。

(d)  自宅にご招待頂けるような関係を築く
 インド高級官僚は一般的には外国人を家に迎えない。だが、上述のとおり、私に好意を抱き信頼してくれたK会長は快く自宅に招待してくれた。彼の自宅では仕事の話をしたことはなかった。食事を頂きながら、日本の文化・社会に大変興味を持っていた知識欲旺盛なK会長よりたくさんな日本についてのご質問があり、私は丁寧に説明した。 私はK会長が関心を持つテーマを集中的に勉強しインド出張するたびに彼の自宅を訪問し情報を提供し続けた。彼は「ほう、そうなのか、なるほど・・・」といい熱心に私が言うことをメモしてくれた。そして彼とは仕事を離れた友人関係(師弟関係)が確立したのである。

 

2. 二代目社長 Mr. Bhargava (B社長)

(1)  B社長のプロファイル

 B社長はK社長とは異なり、インド高級官僚採用試験に受かったIASである。BHEL時代K会長の下でDirectorを務め、次期マルチ社長の第一候補としてK会長と共にマーケット部門のDirector としてマルチに転籍された。B社長はとても理知的、論理的であり、その視野の大きさは宇宙的。マルチの成功の立役者の一人であり、いまもマルチの会長として日本人社長である鮎川氏を支えている。

(2)  B社長との出逢い

 K会長がご在籍の間は、私はB社長との付き合いに意識的に距離を置いていた。K会長とB社長は表面的には仲良くしているように見えたが、K会長はB社長に対し、余りよく思っていなかったためある。(インドの国営企業では政府は意図的にライバル視をする2人をNo.1とNo.2にするケースが多い)。

 B氏が社長就任後、奥様を連れて日本出張された。私は家内と共にB夫妻の日光観光にご一緒した。B社長の弱点は奥様に弱いことである。そこで家内と相談してB夫人に先ず好印象を持って頂くことが大事と考え、旅行中B夫人との接触を多くするよう努めた。幸いにもB夫人は愛煙家であり、奥様とは2人だけでお話しする機会がたくさんあった。

 奥さんは私に言った。「主人はバカなのよ。数学者になれば、今頃ノーベル賞を取れたかもしれないのに・・。主人は頭はいいけれど、とても融通性に欠ける男なのよ。中島さんと今後お付き合いをしてもう少し柔らかくなるようにしなさい、と主人に言っておくわ」と。

 その日の晩食のとき、B夫人は「あなた、中島さんは若いけれど見所あるわよ。今後彼と仲良くお付き合いをしてもらい、色々教えてもらいなさい」と。私はびっくりしてB社長の顔色を窺ったとき、B社長は「さすが私の妻だ。自分もそう思うし、君の人物鑑定力には敬服しているので、もちろんそのつもりだ。中島さん今後ともよろしく」と私にウインクしながら、笑いながら言ってくれた。

 B社長は私がK会長と極めて懇意にしていたことを知っていたこともあり、夫人の側面援助があり、彼との交友は順調に発展できた。

 1989年、私がインドに赴任後の話である。自動車部品会社M社の社長が夜遅く我が家に突然訪れて来て、跪き彼の顔を私の足にくっつけて「中島さん、会社が潰れてしまう。助けてください」と言う。「何が起きたのですか?」と聞いたところ、「昨夜B社長の家に行き50万ルピーの現金を入れた段ボール箱(当時の最高紙幣は100ルピー)を渡したところ、B社長より「お前は自分をそのような男と思っているのか?賄賂で取引を拡大しようとする会社は許せない」とお金が入っていた箱を蹴飛ばし「出ていけ」と。激高したB社長は、翌日出社するやいなやM社との取引停止を購買部長に命じた。当時M社の顧客はマルチのみであり、この取引停止はM社の倒産を意味した。

 私は翌日B社長と面談し(B社長とのアポイントメント無しでお会いできる関係になっていた)この命令撤回のお願いをしたところ、B社長は「中島さんからの依頼でもこれは到底受けられない。自分はインドに蔓延する賄賂行為を排除することに腐心しており、またM社が自分を金で動くような男と思っていたことは許せない。」と。そこで、私よりB社長にこの決定を1ヶ月間だけ保留して欲しいと懇請した。マルチはM社の競合メーカーに発注すれば問題はなかったが、B社長は私の要請をしぶしぶ受け入れてくれた。

 1ヵ月後もう一度撤回を要請したが、B社長の意志は変りそうもなかった。そこで更に1ヶ月間の保留延長を要請した。B社長は「中島さんに頭を下げられたのでは断れない。ただし、あと1ヶ月だけですよ」と念押しされた。

 当時M社は私の仲介で日本の大手企業との提携話が最終段階を迎えていた。日本の企業に状況をそのままお伝えし、この提携を急いで頂くことをお願いした。一方、マルチに出向しているスズキの取締役であった篠原工場長にもB社長への説得をお願いした。

 そして事件発生3ヵ月後、私はB社長に「日本企業と提携する自動車部品はマルチ車の性能を向上させるためには絶対必要です。M社も十分反省しているので、許してやっていただけませんか?」とお話したところ、B社長は「分かった。実は取引停止命令を出したものの、マルチはM社が日本企業と提携予定の自動車部品は必要であり、困っていた。中島さんからの要請は内心では感謝していたのだ。」と。

 B社長は笑いながら言われた。「私は今回は特別にM社を許すことにする。但しM社に詫び状を書かせること。そして100万ルピーを教育関連のNGOに寄付することを条件とする」。これをM氏にお伝えしたところ、大涙で「中島さん、本当にありがとう、この恩は決して忘れません」と。

 M社はその後大発展を遂げ、今では7000人以上の従業員を持つ大企業グループとなった。この事件の約20年後の2009年に、私はインドにて自立を決めてプラスチック用金型製造事業やコンサルタント業を開始したが、M社は最初の顧客になって頂き、コンサルタント料以外に豪華な家{家賃と電気代}と車(プラス運転手の給料とガソリン代)を提供してくれた。

 この関係は私がお断りするまでその後3年間続いた。

* 中島コメント

(a)  将来の世代交代を配慮した次世代トップとの関係構築の努力
 K会長は当時絶対的権力者であり、私と彼との関係は何時でも電話で話せるような関係になっていたが、No.2のB氏の前では私はK会長のことを話題にすることを極力抑えた。そしてB氏と会ったときは、いつも笑顔で接し好印象を持って頂けるよう努めたのは言うまでもない。
 K会長の予定任期が終了する6ヶ月前に、K会長は私に言った。「中島君。B君のことで君には余計な神経を使わせてしまったね。君の配慮は嬉しく思っているが、次期社長はB君だ。これからは自分に気兼ねすることなく次期社長との関係を強化したらよい」と。その後は堂々とB氏と会うことができ、B氏が予定通り社長に就任したときには同氏との良好な関係はある程度であったが、構築できた。

(b)  インド人のホンネとタテマエを見極めたうえで対応する
 B社長がM社を許すであろうと言うことは、B社長との最初の会談時点で確信を私は持っていた。実はB社長に会う直前に購買トップと面談し、彼にB社長の命令に反対するように頼んでおいたのである。この購買トップは次の社長を狙っており、表面的にはB社長に従順であったが、時にはB社長の方針に異論を唱えていた。(後で3代目社長に就任)この購買トップは「社長の決定に逆らうことはできないが、実行を遅らせることはできるので、その間時間を稼ぐのでB社長を説得して欲しい」との好意的対応を頂いた。また取引停止がB社長のホンネであるなら、いくら友人であっても社外人である私の懇請に彼は耳を傾けようとしなかったはずである。プライドが高く清廉潔白のイメージを更に高めたいと考えていたB社長の決定はタテマエであり、時間をかければ、ホンネへの転換、すなわち翻意していただける可能性は十分あると判断した次第である。

 

以上

 

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著者プロフィール

中島敬二様写真1

中島 敬二 
Nakajima Consultancy Services LLP 会長

URL: http://nakajimaconsultancy.jp/

インド在住暦18年。住友商事元理事広報部長、インド住友商事元社長。コンサルタント会社を経営しながら、日本食レストラン、有機野菜販売等現在6社の会社をインドにて経営。

 

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