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インド2大都市「デリーティー」VS.「ムンバイカー」

コラム「インドの上にも10年」 vol.9

インド2大都市「デリーティー」VS.「ムンバイカー」
Casa Blanca Consulting Pvt. Ltd. 代表取締役社長
荒木 英仁
2015年7月7日


 インドの首都デリーと金融都市ムンバイは色々と比較される事が多い。中国の北京と上海のようであると言われる事が多い。またそこに住む人達も、日本の東京と大阪のようにお互いに結構意識している。今回のコラムはインドを代表するこの2大都市について少し掘り下げたいと思う。私の前の会社のJV相手の本社がムンバイにあったので、居住しているデリーNCR以外のインドの都市の中では訪問回数も多く、滞在期間も圧倒的に長かったのでムンバイの人達との関わり合いは比較的多い。そこで、私見も含め、普段多くの日本人駐在員達が日頃接しているデリーの人達「デリーティー」とは1味も2味も違う「ムンバイカー」を比較してみたいと思う。

 

インドの首都デリー

Delhi
photo by LASZLO ILYES


 2011年度に行われた国勢調査(センサス)では、都市圏人口1,675 万人。人口密度1㎢あたり11,294人。識字率86.34%(全国平均86.7%)。ヒンズー教82%、イスラム教11.7%、シーク教4%。年間平均気温は25度といわれているが、乾季といわれる11月から2月の3ヵ月以外は異常に暑い(40度以上)か、蒸し暑いかの不快指数マックスの気候が永遠と続く。教育の世界ではインド有数の大学が数多く位置しており、インド中のエリート候補生が目指してくる。

 デリー市民の主な交通手段はデリーメトロ、バス、オートリキシャ等が主流である。中でも2002年に第一次路線のレッドライン開通後、順調に路線を伸ばし今では6路線全長190㎞のデリーメトロは市民の重要な交通手段となった。 生活物価(住居も含む)はムンバイに比べ8%程度安い。ニューデリーには国会議事堂、各官庁が集中している。歴史的にデリーは12世紀から約800年に渡りイスラム国に支配され、その間も数多くの侵略を受け続けた。今でも街のいたるところに世界遺産に認定されるイスラム建造物が数多く残されている。1931年、正式にイギリス領インド帝国の首都と制定され、1947年インド独立時にも引き続き首都とされた。2010年の英連邦国のオリンピックと言われるコモンウェルスゲームが開催された事がきっかけとなり都市インフラの整備も急ピッチで進められ、高速道路、ショピングモール等の整備はムンバイを凌ぐようになった。デリー衛生都市のグルガオンは、今ではインドで一番近代的な都市となりつつある。

 

商業都市ムンバイ

Mumbai2
photo by Jean-Pierre Dalbera

 都市圏人口2,129 万人。人口密度1㎢あたり20,482人。識字率94.7%。ヒンズー教67.39%、イスラム教18.56%、仏教5.22%、キリスト教4.2%。年間平均気温は27.5度。ムンバイの季節は明瞭な雨季と乾季に区分されるが、年間を通じて湿度は高いものの平均最高気温31.7度、平均最低気温22.1度と日本人かするとそれほど高い不快指数ではない。インド最大の港を有し、中心市街地には、ボンベイ証券取引所、インド準備銀行、インド造幣局といった金融機関も多く、インド最大の商業都市として栄えて来た。映画好きなインドの国柄を反映してか年間1,000本近い映画が制作されるインドのハリウッド、ボリウッド(Film City)があるのもムンバイの特長である。

 一方で、ブラジルに次ぐ世界2位の規模を持つスラムがある事も有名である。ムンバイ空港に到着直前に垣間見るスラム街は壮大である。市民の主な交通機関はムンバイ近郊鉄道、地下鉄、モノレール、バス、タクシー、オートリキシャ等豊富にある。但しメトロの整備は2014年に1路線が開通したばかりで、デリーと比べると大きく後れをとっている。歴史的に見ると1534年にグジャラート・スルターン朝からこの地域を譲り受けたポルトガルが、ゴアの補助港としてこの小島に城塞を築き、キリスト教会を建て「ボンベイ」と名付けた。ポルトガル語のボン・バイヤ(良港)に由来すると言われている。それ以前からこの地の呼称である「ムンバイ」は当時漁民の信仰をあつめていたシバ神妃パールヴァティーの異名、ムンバによるとの説がある。当初7つの島で形成されていたムンバイは1863年にイギリス海軍に統合されるまで島の間の埋め立てが進められ、1845年に実施された大規模な干拓により大陸の一部となり、今のムンバイとなる。1800年代はボンベイ・スエズ航路の玄関口となりインド貿易拠点となり益々商業が発展していった。

 

デリーティー(デリー人)の特長

 上記に纏めた様に、歴史的に侵略を受け続けた土地柄と最も過酷な気象条件の中で生活を強いられてきた結果なのかどうかは定かでは無く、また、人口構成の多くを占めるプンジャブ人、ハリアナ人、ウッタル・プラデシュUP人、ラジャスタン人の影響なのかも知れないが、インド在住の日系企業が最も集中するデリーNCRに住むインド人達のキャラクターは下記の通り(私見も含む):

 保守的。プライドが高い。攻撃的。権力、富を誇示したがる。家族の絆を大切にする。義理人情を重んじる。一方で法律、ルール等は守る意思が見受けられない。声が大きい。自分勝手。我儘。ファッションに拘りは無い。基本皆時間にルーズなので、タイムイズマネーの概念は存在しない。そこらへんはある意味大らかである。海外の文化を受け入れる意思があまり無い。

 車線は無視する。信号は無視する。高速道路だって場合によっては逆走する。エレベーター、バス、電車は降りる人より先に乗る。カード専用の料金所でもキャッシュで払う(渋滞を避ける為に受け付ける機能があるのも更に問題)。偉い人の名前を出せば警察も手出し出来ないと真剣に思っている。約束の時間の意味が分からない。お礼を言わない。謝らない。列は割り込む物だと思っている。リキシャのメーターはあてにならない。人と人の距離感が異様に近い。並ぶと後ろの人の鼻息が聞こえる。外食してもカレーが基本。

 

ムンバイカー(ムンバイ人)の特長

 一方で歴史的に侵略された事はあまりなく、外交が盛んだった商業都市、ムンバイはとてもメトロポリタンである。通年湿度は高いものの、気候は比較的マイルドであるのもムンバイ人のキャラクター構成の一旦を担っている事は容易に想像出来る。私自身、今までムンバイの人達と数多くのプロジェクトをこなしてきたが、待ち合わせはいつも時間通り、納期も殆ど遅れず、口論も少なく(結果会議時間も短い)、仕事は圧倒的に楽だった様に思う。そんなムンバイ人達のキャラクターは下記の通り:

 プロフェッショナル。調和的。法やルールを守る。権力や富より知識、技術を誇示。家族より友人。合理的。おしゃれ。ファッショナブル。海外の文化を受け入れる。

 渋滞がまんねりしているせいなのかも知れないが、デリー人の様にいらついてホーンを鳴らしまくり、小さな接触等で取っ組み合いの喧嘩になったりはしない。割り込みも比較的少ない。エレベーターも順序良く乗り込む。マクドナルドも順序良くオーダー出来る。突然行列が数倍に膨れる事も無い。人と人の距離感も程良く空いている。合理的なので時間管理は厳しい。遅刻は少ない。前のパートナー会社の例(広告代理店なので一般的にルーズではあるが)で言うと、朝10時社員出社率デリーオフィス10%に対しムンバイオフィスでは80%は超えていた(因みに定時は9:00)。

 

 この2つの巨大都市を比べ、最近私自身が感じた一つの大きな違いは、海外の文化を受け入れる姿勢が全く違うという事。ファッションにおいてもムンバイの人達とデリーの人達は相当違う。ムンバイではミニスカートなんてごく普通のファッションであるが、デリーでは過去10年間街で見かける事は一度も無かった。これは食文化においても大きく異なる。現在、私の住むグルガオンには2,000人強の日本人がいるお蔭で、日本食レストランは10件程あるが、どの店に行ってもお客の90%以上は日本人で、少しでも味が落ちたりすると直ぐに閑古鳥が鳴く程、日増しに競争が厳しくなっている。日本人に見放されると全く商売にならない。 デリーNCRのインド人には見向きもされない。

 一方、日本人駐在員が少なく需要もあまりないムンバイの日本食と言えば、夜の客単価1万ルピー超のタージマハールホテル内の「ワサビ」とムンバイの若者達が集う繁華街のド真ん中にある「幸福」の2軒くらいしか無い。先日週末の昼食と夕食で両方のレストランに行く機会があったが、どちらもインド人で満員御礼だった。ワサビは所謂ムンバイセレブの御用達。値段は関係なくそこにいる事がステータス。一方の幸福は、一見20代の若本達が器用に箸を使って寿司もどきを美味しそうに食べているのである。ワサビに比べれば値段は押さえられているものの、グルガオンの日本食レストランと比べると質は最低レベルで値段はジョークの様な設定である。そんなレストランですら、週末の夜等は予約しないと座れないそうである。

 この一例を見ても分かる様に、「ムンバイカー」は新しい物や異文化を積極的に取り入れるのに対し、「デリーティー」は異文化に対しては全てにおいて保守的で食生活すらも変える意思が余り見受けられない。 スパイスとダルとチャパティーがあれば幸せなのだろうか?

 今回は単純に2大都市を比較したに過ぎないが、どうみてもムンバイの方が住みやすく、勤勉なローカルスタッフは豊富で、異文化を取り込む姿勢が強い。未だ殆どの日系企業はインド参入を目指す最初の進出先をデリーに定めるのが通例となっているが、本当にそれで良いのかどうか今一度検証する時期に来ていると考える。

 勿論、歴史的に多くの日系の自動車、自動2輪企業がデリーNCRに拠点を置き、関連日系企業がそこに追従し、マネサール、バワル、ニムラナと製造拠点がラジャスタンに向かって伸びていた経緯は無視出来ない。結果としてそこに働く多くの日本人対象のサービスが充実してきて、今日本人にとって快適な生活環境が整いつつある事実は否めない。そんな整った環境を活用したく、デリーNCRに進出したくなるのも十分理解出来る。 但し、今後ターゲットを日系企業中心の”B to B”では無く、巨大インド市場を狙う”B to C”の日系企業、或いはインド以西中東、アフリカに次世代市場を目指す企業にとってはもっと効率良くビジネス展開する為の拠点はデリーNCR以外にも沢山オプションがあるのでは無いかと思う。

 

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著者プロフィール


荒木 英仁

Casa Blanka Consulting Private Limited 代表取締役社長
www.casablankaconsulting.com

 

前 Asatsu-DK-Fortune Communications (世界最大のコミュニケーショングループWPPと日本第3位の広告代理店アサツー ディ・ケィの50/50 JV会社)代表取締役社長。30年余りに渡り海外マーケティングに従事して得た知見と12年余り(連続駐在歴10年)のインドビジネスの経験を生かし、インド市場で苦労されている日系企業、これからインド市場に挑む日系企業、並びに在印日本人、日本市場を対象にビジネス展開を目論むインド企業に対して、リーズナブルな価格で最大のサポートバリューを提供すべく、2014年3月末、インドで最も発展を遂げているグルガオンにて、カーサ・ブランカ コンサルティングを設立。

 

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