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とても義理堅く心から真友と呼べるインド人

コラム「私とインド人~インド人を知る」vol.5

 とても義理堅く心から真友と呼べるインド人
 Nakajima Consultancy Services LLP 会長
 中島 敬二
 2015年8月25日   

 

 インドに長年住んでいることもあり私にはインド人親友が多いが、その中で真友と呼べる3人をご紹介したい。私の定義する真友とは、①ビジネスを超越した損得勘定のない友情 ②友が苦境に立ったとき、本心から自分のことのように心配し最優先で全力をもって助けてくれる友人で日本流に言えば、義兄弟関係の友である。

 

1. Vikram Berryさん(Vさん)


(1) 彼との出逢いは26年前(1989年)日本食レストランで偶然に・・

 当時デリーの日本食レストランはインド人が経営するアショカホテル内にあった東京レストラン1軒のみ。味は最悪であり、かつ3回に1回は食後下痢をしてしまう。とても安心して食事できないレストランであったが、日本食に飢えていた日本人はそれを承知で利用していた。一番美味しかった料理はエビ天ぷらうどんであったが、エビは臭かった。

 なぜ臭かったというと、冷凍エビはボンベイより鉄道にて輸送されるが、20時間以上の輸送中に氷が解け、デリーに到着後業者が腐ったエビを再び凍らせてレストランに供給していたためである。これは私が本当に見た話だが、レストランのコックはたまたま新鮮の状態で届いたエビが無臭だったため、これはおかしいと言って使わず捨ててしまったほどである。それほどひどい日本食レストランであった。

 私がこのレストランで食事をしていたとき、美男美女の若いカップルも食事していたが、彼らが私の席に来て「デリーで一番美味しい日本食レストランはご存知ですか?」と尋ねてきた。このレストラン以外に日本食レストランは存在していなかったが、私は「ありますよ」と答えた。「どこですか?」と聞かれたので、「それは私の家です。家内は日本食の達人ですので、私の家にお越しください」とお話し、翌週早速我が家にご招待した。このインド人がV夫妻である。

(2) Vさんはどのような人物か?

 彼はスイスの会社との合弁事業で高級アパレルをヨーロッパに輸出している会社のオーナーである。V夫人は服飾デザイナーでデリーに3軒のブティックを経営している。

(3) V夫妻との家族ぐるみのお付き合い

 Vさんはデリー郊外に大きな別荘を所有しており、年に2~3回彼のホームパーティに招待してくれる。別荘内にある大きなプールで私は度々水泳を楽しんだ。彼の別荘内で栽培した有機野菜の味は絶品であり、私は日本人を大勢呼んで楽しんでいる。私は有機野菜の卸・小売販売会社を経営しているが、有機野菜の農家を紹介してくれたのもVさんである。本日も彼より電話があった。「ホームパティーを来週やりますのでご友人を誘いお越しください」と。

 

2.Ashok Sharmaさん(Sさん)


(1)Sさんと私との関係

 Sさんは私がインド住友商事社長時代に人事・総務部長として助けてくれた人物である。

 彼は2005年にインド住友商事を退職し、インドの大手鉄鋼会社の人事部門のNO.2として転職した。ところが、その後同社より他の州への転勤を命じられたが、グルガオン在住の彼は家長であり、かつ父親が病気であったため転勤を拒否して会社を辞した。この後2年間仕事に就かず預金を使い生活していたが、2010年グルガオンのマーケットでたまたま再会した。

 私はコンサルタントを開業した直後であり、労務・人事の責任者を探していたので、彼に協力して欲しいと頼んだところ、快諾頂き、社外協力者として私の会社に勤務している。

(2)Sさんの協力により数々の深刻な労務問題を解決

 過去2年間で彼の協力を得てコンサルタントとして3件のストライキ発生を防止したが、その内の1件をご紹介しよう。

 1年半前の出来事である。某日系企業の本社社長が我が家を訪れ、助けを求めてきた。同社は3ヶ月前にストライキを受け、納入先にご迷惑をお掛けしたが、再度ストライキが発生する危機に見舞われた。今度納入問題を発生したら、取引を停止するといわれ、かつその会社は唯一の納入先であり、同社との取引がなくなったら、1,000人規模の同社は即倒産に追い込まれる危機状態に置かれていた。

  ストライキが発生した主因は、同社の労働組合設立の際の対応が適切でなかったためであった。私とSさんは連日同社を訪れ、深夜までその交渉に臨んだ。コンサルタントして守秘義務があるので、内容は述べられないが、Sさんのアドバイスを受けて労働組合との交渉戦略が功を奏し、無事ストライキの再発を食い止めることができたのである。

 

(3)私が経営する日本食レストランのリッカーライセンス取得でSさんは大貢献

 本件は紙面の関係で詳細説明は割愛するが、私が経営する日本食レストランは最近リッカーライセンスを取得した。これは100%Sさんの努力の賜物である。

 インドでは通常リッカーライセンス取得には税役人への巨額な賄賂が必須である。当時年間費用は60万ルピー(120万円)であり、同額の賄賂が必要と言われていた(本年4月より120万ルピーに倍増)。

 私は一部の顧客からは「賄賂を使わないで問題を解決するコンサルタント」と言うことで定評を頂いており、また私の信条からしても、私自身の仕事でも賄賂は使ってライセンスを取得することはできない。色々の人たちから賄賂を払って早期にライセンスを取得するのが得策であり、またある人からはこのままでは永久にライセンスは取得できないだろうとさえ言われたことがある。

 ライセンス取得には1年4ヶ月も要したが、賄賂を一切使わずにできたのは本当に喜ばしい。Sさんの不屈な粘り強いご努力がなければ、現在もまだ未取得のままであっただろう。本件についてはいずれ詳細を書くつもりであるが、Sさんには感謝、感謝である。

 

3.Dさん


(1)Dさんとの出逢い

 彼との付き合いは他のインド人友人と比べてそれほど長くない。約5年前にある日本人友人を通じて私にアプローチしてきた。私がDMIC(デリー・ムンバイ産業動脈構想)に
関する日本政府派遣のインド政府アドバイザーであったため私に接近してきたのである。

 だが、私は守秘義務があるので彼には一切情報は提供せず、彼にとっては期待外れであったが、その間の私との付き合いで私を信頼し個人的な友情関係が深まったのである。彼も「自分は中島さんとのコネクションを作ることによって自分のビジネスにプラスとなると考え打算の心で私に接近した。邪な動機であった」とその後しみじみと告白した。

(2)Dさんとは・・・

 Dさんの本業はある日本企業の顧問であるが、彼は色々な顔を持つ。退役将軍などで構成されている民間国防研究会の事務局長を務め、インド中央政府及び各州政府との極めて太いパイプを持っている。だが、彼は黒子に徹し決して表舞台には出てこない。なぜ彼が政府との関係が強いかが分かるかというと、彼は私の私生活上及び仕事上の難問題をいともた易く解決してくれてきたためである。

 彼は私のことをMentor(師)と呼ぶ。少なくても週1回は電話をかけてきて「中島さん、何か困っていることはありませんか?」と聞いてくる。

 彼の生活は極めて質素である。決して偉ぶったりはしない。フィクサーとして政府関係の仕事もしており、ダーティーな面は確かにあるが、同時に不正を憎む気持ちを持つ。D夫人は元マハラジャー(藩王)の娘である。彼が20代のとき、ベンツ車を購入したが、D夫人より「あなたはまだベンツ車に乗るほど人間が成長していない。車はディーラーにすぐに返しなさい」ときつく叱られたそうである。現在数十億円の資産を所有しているが、未だに中級車を長年使っている。私が1年前に日本食レストランを立ち上げたとき、彼は1,000万円を無利子かつ無期限で貸したいといってきたが、もちろんお断りした。この当たり前のことが彼の私に対する信頼度が更に高まったようである。

 上述のとおり、彼は私が抱えていた難問題を全て解決してくれたが、私がその報酬の支払を望んでも決して受けてくれなかった。彼とは高給レストランにて数10回食事したが、一度も私に払わしたことがない。いつもトイレに行く振りをして支払を済ましてしまう。「中島さんは私の師であるし、年長者であるので代金の支払いは若輩者の私の義務であり、喜びである」と言って上品な顔が笑う。

(3)Dさんには色々助けてもらっているが、その内の2件だけここで紹介しよう

(a)私のビザ期限延長問題

 インド在住のためのビザはインドのFRRO(外人登録事務所)にて延長手続きがなされるが、ある理由で私のビザ延長することを拒絶されたことがある。何回も何回もFRROと交渉したが、「駄目なものは駄目だ」と冷たく申請を拒否された。ビザが延長されなかったら、私はインドでの全ての事業を放棄して家族を連れて日本に戻るしかない。万策が尽きた。

 そこでDさんに電話でSOSを出した。彼は「Don’t worry. Nakajima san, Your problem is my problem. I will manage this」と笑いながら答えた。その30分後FRROのトップから私に電話がかかってきた。「Mr. Nakajima, Do you have problem on your visa. Please visit me tomorrow.」と。

 翌日FRROトップのオフィスを訪問したところ、オフィス前には10数人のインド人が待っていた。(FRROのトップは私が住んでいるグルガオン地区の警察のトップを兼務している)。

 これでは大分待たされるだろうなと覚悟したところ、彼の秘書が「中島さんですか?トップはまもなくお越しになられますので、お部屋でお待ちください」と丁寧な態度で言う。巨大な机。その前に16個の椅子がある大きな部屋であった。私はソファーに座らされた。しばらくすると私のビザ延長を拒否したあの態度の横柄なFRROの窓口責任者が現れた。私がお座りになったら如何ですか、と言ったが、彼は直立不動のまま立っている。その2分後にトップが現れた。詳細説明は省くが、その5分後に私のビザ延長申請が受理されたのである。

 Dさんは私には何も説明しなかった。だが、FRROトップよりは小声で「昨日内務省次官より電話がありました。次官より直接電話をもらったのは自分の長い人生で初めてことで驚いたが、その話の内容はあなたのビザ延長を許可しなさいとのことで、私もあなたのビザ延長には全く異存がありません」と言い、緊張して立っていたFRRO窓口責任者にすぐに手続きをしなさいと厳命した。この時ほどDさんに感謝したことはない。

(b) Dさんの絶大なる支援で大口案件の受注

 ある日本人友人から「自分の友人が勤める会社がX州政府より電力ビジネスでLetter of Intent(発注内示書)を入手し、製造を開始したが、キャンセルされてしまいそう。損害金額は数億円。何とか助けてやって欲しい」と依頼された。

 早速Dさんに頼み込んだ。その1時間後Dさんより電話があり、「キャンセルされるのは確実であり、現在州政府は英国メーカーと交渉中である。一刻も猶予ならない状態にある。中島さんはこの会社を助けなければならないのですか?」と聞いてきたので、もし可能なら助けて上げたい」と答えたところ、しばらく沈思した結果、それでは明日Ⅹ州を訪れ対応してみると。翌日彼は全ての予定をキャンセルして彼の費用でX州に飛んだ。

 本件解決には2ヶ月ほど時間を要したが、無事受注ができたのである。私はどうしてこのような問題を解決できたのか彼に尋ねたが、Dさんは「You do not need to know on what I have done. Do you know “A friend in need is a friend indeed.” It is my duty and pleasure to help my dear friend」と笑いながら言った。

 本件は私の友人からの依頼ではあったが、この友人よりはビジネスとして対応して欲しいと言われ、成功報酬を頂くことになっていたが、私は何もやっていないのでこの報酬額を
全てDさんが取得すべきものと考え、その旨申し出たが、彼はお金を要らないという。友人からはお金をもらうことはできないと固辞する。1000万円近い金額である。最終的にはDさんと折半することで決着したが、私は巨額な不労所得を得たが、良心が痛みその一部を私が支援しているNGOに寄付することにした。

 非力な老人でも素晴らしい友を持ってば、大きな力を発揮できるという実証である。インドでもKnow-Howは大切だが、それ以上大切なものはKnow-Whoであることを再度認識した次第である。

 

以上

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著者プロフィール

中島敬二様写真1

中島 敬二 
Nakajima Consultancy Services LLP 会長

URL: http://nakajimaconsultancy.jp/

インド在住暦18年。住友商事元理事広報部長、インド住友商事元社長。コンサルタント会社を経営しながら、日本食レストラン、有機野菜販売等現在6社の会社をインドにて経営。

 

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