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子どもでキャッチボール ―「離婚」に揺れるインド中流層

コラム「リーラ ~「インド劇場」に迷い込む~」vol.4

 子どもでキャッチボール ―「離婚」に揺れるインド中流層
 オンラインショップ「インド雑貨.com」運営
 三隅 愛
 2016年5月12日   

 インドが世界に誇るエンターテインメントといえば、映画である。
 年間制作本数千本以上などといわれるが、その数字もさることながら、豪華絢爛な衣装、奇抜なストーリー展開やハチャメチャなアクションシーン、そして大人数で迫りくるキレキレダンスなど、映画界においてもインドは強烈な個性を放っている。 
 それでも恋愛映画が鉄板なのはインドも同じだ。しかし「結婚」というモチーフなくして、インド恋愛映画は成り立たない。最近の新鋭都会派映画こそその限りではないが、大衆受けする娯楽映画では、結婚というゴール、あるいはスタートを軸として、ストーリーや主役の感情表現としてのダンスが展開する。 


 ところでインドの結婚というとどのようなイメージが浮かぶだろうか。よく知られるところでは、同じカーストの者同士でしか結婚できない、お見合いが主流で結婚相手は親が決める、結婚式の日にはじめてお互いの顔を見るーなどが、「インドの結婚事情」として有名なことだろう。事実、現代でもそういった条件のもとで成立する結婚が主流と言える。IT産業を持ってして破竹の経済発展を遂げる一面と、このあまりに古典的な慣習の同居は、いかにもインドらしいという感慨を持って我々日本人の目には奇異に映る。しかもそんな「古き悪しき」と思われる結婚が、今も昔もインドの人々にとって大いなる憧れの対象であり、人生における歓喜の瞬間であり、だからこそ恋愛映画に欠かせない題材となり得ている。なぜなのか。
 それは宗教思想を背景としたインドの伝統的な結婚観による。そもそも結婚とは、「一家繁栄という義務を果たすためのもの」という考え方が根底にある。輪廻により与えられた現世で、その義務を果たすために神様が用意してくれた相手と出会う、それが結婚である。憧れの「運命の相手」は見つけるものではなく与えられるものであり、結婚して相手との愛を育むのが恋愛なのだ。


 近年の経済発展と急速な欧米化の波は、このインド人の結婚観にもやはり大きな影響を与えている。欧米のライフスタイルと同様、自由な恋愛への憧れ、伝統を忌み嫌う意識が、これまでにないほど大量の情報流入に伴って拡大している。それでも宗教意識が強い社会にあっては伝統に基づく結婚がまだ多くの部分で継承されているが、時代の変化に合わせた形でさまざまな折衷案も現れている。都市部では、学校や仕事先、あるいはインターネットも含めた何らかのコミュニティで恋人をつくる「恋愛先行型」も珍しくなくなってきた。そういったカップルが結婚ということになると、その相手がカーストや占星術に基づく相性にマッチしている(あるいは許容範囲)か、といったことを「事後調査」するシステムが市民権を得つつある。あるいは親のほうも、伝統的な相性よりも学歴や年収などより現実的な条件を重視するケースもある。
 そしてこれらの宗教性を欠いた外来の結婚がたどる行く末―離婚が、恋愛結婚とセットで増加しているのは当然の結果だろう。特に都市部の中流層においてその傾向は顕著である。今やインド人の離婚は、珍しいことではなくなりつつある。


 私が6年間を過ごしたデリー郊外のマンション型集合住宅地は、まさに中流層ど真ん中の住環境だった。ともに同じ年頃の男の子がいたことで仲良くなった友人のひとりは、もう数年におよぶ夫婦別居が続いていた。彼女の場合はアメリカで恋愛結婚したのち(ともにインド人)、旦那さんの意志で半ば強引な形でインドに戻ってきていた。帰国後に男の子を一人もうけたものの、結婚生活が破綻してからはその子の取り合いで話し合いがつかず、膠着状態が続いていた。その中にあっても子どもと過ごす時間の権利をお互いに主張し、週替り、あるいは日替わりで子どもをそれぞれの家に行き来させていた。
 月曜日から木曜日はお母さん、週末はお父さん。そのサイクルを1ヶ月交替。しかも週末の旅行から帰るのが遅れて月曜日になるなど不測の事態が起これば、その代わりに今度の週末は1日よこせと母親が主張する。逆に子どもが日曜日に母親と一緒にクラスメイトの誕生日会に出席すれば、平日の1日は家でと父親が主張したりで、友人は昼夜問わずしょっちゅう夫と携帯電話で子どもの引き渡し日時についてモメていた。 
 子どもはそれぞれの家で個室と大量のおもちゃを与えられ、相手の家で食べたものや寝た時間などはろくに把握されず、あっちへこっちへと振り回されるキャッチボール生活から幼稚園の遅刻欠席は常習化、さらにはママ、パパ、ダーディー(姑)は何と言ってたの、と4歳の子どもに相手の言動の事情聴取まで取っており、決して健全とは言えない生活環境を強いられていた。 


 離婚手続きもご多分に漏れず一筋縄ではいかないようで、それが離婚に要する時間をさらに膨大にしている原因のひとつのようだった。友人も定期的に裁判所に行ったり弁護士に会ったりしていた。こじれる最も大きな理由はやはり親権である。インドは家督意識が色濃く残るのに加え、父親が引き取っても養育環境が整う条件にある。長男は両親との同居が一般的であり、長男でなくとも両親が世継ぎ獲得のため万全のバックアップ体制を敷くので、父親側は経済面、子育て要員ともに圧倒的に有利となる。子守や家事を担うメイドもいる。離婚において父親が子どもを引き取ることの困難は、日本とは比べ物にならないほど少ない。そもそも、家族(に限らず、いとこなどに至るまでの親族)になにかあれば仕事を差し置いて駆けつけられる、家族第一の社会的価値観も、父親が子どもを引き取ることをより容易にしている。 


 同じマンションを見回すだけでも、ほかにも離婚、あるいは夫婦別居をしているケースが驚くほど多かった。これらの家庭は母親も仕事をしていることが多く、女性の社会進出も背景となっている。そこに浮気やアルコール依存などといった副次的問題の存在があることを、男女を問わず耳にすることもあった。 
 インドは著しい経済発展を遂げていると言われて久しい。それに伴い否応なしに開かれ始めた社会が、「中流」と位置づけられる層へ人口を押し上げ、その増加がさらなる発展となって相乗効果的に加速している。そして現地で生活をしてみると、生活様式、社会的意識などのあらゆる面において、急激な変化の波をもろに受けているのが中流層であることを肌で感じる。下層の生活レベルは基本的には変わっていないし、上流層の少なからぬ人々は「離婚」という概念とは無縁の伝統的意識に基づく生活を貫いている。離婚の増加、あるいは家族像の変貌は、激動の渦の中心にいる中流層がもたらした象徴的事象とも言える。 


 こうしてインドにも伝播した離婚と鑑みて伝統的結婚観に立ち返ってみると、数千年にわたり伝承されてきた占星術の計算によりマッチングした相手と結婚するというのは、もしや最上級に合理的かつ正当性の高いシステムなのでは、との思いに至るのである。そして少なからぬインドの人々がそのことを意識的に、あるいは無意識に感じているからこそ、激変のただ中にある現代においても、伝統的結婚が粛々と続いているのかもしれない。 


 ところで前述の友人だが、その後届いたメールによると、夏の休暇を利用して初めて息子を連れてアメリカの旧家を訪れた際、アクシデントをきっかけに全く予想だにせずそのまま再びアメリカに住むことになったという。やはりアメリカに渡った夫との離婚もほどなく成立したそうだ(スローペースにはなったものの、アメリカでも息子のキャッチボール生活は未だ続いているというが)。
 欧米化の波やら経済発展やらに翻弄されつつ、離婚という新たな選択肢に挑みつつ、元来の柔軟性とタフさを持ってして、中流層の舞台は今やインド国内にとどまらない。渦の中心で増加の一途をたどるそんな彼らの人生は、地球規模の移動を伴いながらダイナミックに、かつドラマティックに展開するのである。 

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著者プロフィール

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三隅愛
オンラインショップ「インド雑貨.com」運営
www.indozakka.com 

 

アジア放浪中の2002年、初めてインドの地を踏み、半年かけて1周旅をする。
2008年、当時1歳の子どもを伴い家族で渡印、デリー郊外・グルガオンで暮らす。

「郷に入りては郷に踏み込め」を信条に、衣・食・住環境から生活パターンまでミドルクラスのインド人コミュニティにどっぷり漬かる一方で、日本向け個人事業を開拓。
2014年日本へ帰国。現在はオンラインショップ「インド雑貨.com」を運営、定期的にインドへ足を運ぶ。

 

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